本部のゆうもどろの花
〜昭和55年(1980年)11月12日・琉球新報〜
わたしが勤務する本部町は、海や陸の景観がみごとである。特に海を舞台にして展
開される光景は実に美しい。わたしの町を訪れる人々は、その景観に魅了され、心ゆ
くまで旅情を味わう。
この町が好きで、この町に馴染んだせいか、海を舞台にしてつくりだされる景観は、
春夏秋冬をとおして、わたしの心情を豊かにしてくれる。
わたしは、その景観を夏から秋にかけての夕暮れどきによく眺望する。もちろん、
春や冬の朝夕の眺めも、それ独自の情緒があるが、秋の夕暮れどきの眺めは、春夏秋冬
のなかで最高だ。
毎年のように、今どきの季節を迎えると、勤務帰りの途中、海岸線沿いの道路脇の
広場に愛車を駐車し、時の経つのを忘れてその景観を眺めることがしばしばある。
ところが、わたしは、その景観をカメラにおさめてアルバムを作ったり、展示会へ
の出品物を制作したり、色彩を豊富に思いきり使って絵画を描いてみようとか、また、
ことばの窓を通して韻文の文学作品を創作してみようという目的意識をもって眺めて
いるのではない。それは、ただ単に、景観の美しさに誘惑され、それに見惚れてい
るだけのことだ。わたしは、病的な性が手伝ってか、時たま、その景観をあたかも私
有財産のように独り占めしようとする。
四季を通じて、本部の町から眺める、大西洋の海を舞台に自然美と人工美が織りな
す調和の美は、やはり沖縄八景のひとつだと思う。また、夕暮れどき、天然がつくり
だす崇高で優艶の美は、調和の美に倍して格調が高く圧巻だ。
わたしは、天然のつくりだす崇高で優艶の美のシンボルとして、日の天空に丸く大
きく輪郭をくっきり現し、真っ赤に、あかねこんじきに輝く夕陽をとりあげたい。
西の水平線へ没していく崇高で優艶の美のシンボル「夕陽」を、わたしは、「本部の
ゆうもどろの花」と呼んでいる。「本部のゆうもどろの花」は、夏から秋にかけて、真
っ赤な色彩から、あかねこんじきに変化する。今どき、西空に輝くあかねこんじきの
「本部のゆうもどろの花」は実に美しく、本部町を訪れる人々の官能を楽しませてくれ
る。
美のシンボルを形容することばを豊かにもちあわせていないわたしが、真っ赤に、
あかねこんじきに輝く本部の夕陽を、「本部のゆうもどろの花」と呼ぶことに対して、
独断と思いあがりが甚だしいと批判を受けるかもしれないが、あえてそう呼びたい。
わたしたちの祖先・オモロ人は、太陽がまさに東の水平線を出ようとするときの太
陽の出現の美しい光景を花にたとえて「あけもどろの花」と形容した。現代のわたし
たちは、落日の天体美を讃え、「ゆうもどろの花」と形容してもよいのではないか。
「本部のゆうもどろの花」は、賞美する場所や方位によって情趣が一段と豊かにな
る。今どき、備瀬崎の海浜で見る「ゆうもどろの花」は、隣接する対岸の伊江島の西
崎の島影を少しばかり内側にかすめて落ちていく。いうまでもなく、伊江島を舞台に
した「ゆうもどろの花」は、伊江島タッチューに人知れず姿を隠していく光景だ。
海を舞台に「ゆうもどろの花」のつくりだす光景は、時間の推移とともに変化する。
備瀬崎や伊江島を背景に、「ゆうもどろの花」と夕暮れの海に浮かぶアクアポリスとが
織りなす自然と人工の調和美は、眺めあくことを知らない。また、「ゆうもどろの花」
のあかねこんじきの花影の下で、伊江島と本部町の狭い航路を、喜びを乗せて走る
本土航路の客船や貨物船の船姿は、格別にいい景観だ。そして、あかねこんじきの海
原を出漁へ帰港へと、船足も軽く夕波をきって走る数々のサバニや小型船舶を眺め
るにつけ、心が弾むものだ。さらには、伊平屋、伊是名、水納、瀬底などの離島へ、
生活必需品や生命、財産、公務を運び届ける離島通いの定期船のあかねこんじきに染
まった活気は、わたしの心と土塊を踊らせる。
ニライ・カナイの水平線に没していく「ゆうもどろの花」の絶景を心ゆくまで賞
味しようと思えば、今の時期なら場所的には、町内の塩川の浜が一番だ。真砂に寄せ
るさざ波。珍しく不思議な形をした大小さまざまな貝殻の数々。打ち上げられた枝珊
瑚礁や珍石などが、水平線に没していく「ゆうもどろの花」色に彩られる光景は、趣
き深く、塩川の浜でなくては味わうことのできないものだ。
本部町特有の「ゆうもどろの花」の美は、旧渡久地港の出入口に弧を描いて高架さ
れている本部大橋との調和でさくりだされる光景に限る。その光景は、世に類するも
のがないと思っている。「ゆうもどろの花」が本部大橋にさしかかるときに創出する美
の世界は絶句に等しい。そんな「ゆうもどろの花」を眺めながら、言語に絶する美の
世界をいつまでも保持したいという気持ちが瞬時はたらき、天体の運行と時間の推移
が惜しまれ、残念でたまらない。
本部の「ゆうもどろの花」と本部大橋とが演出する自然と人工の調和美は、本部町
独特の財産であり、観光資源のひとつではないかと、一人、心ひそかに思うことがある。
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