「「廃棄物ゼロ」は足元から/社説」



〜琉球新報1998/07/20朝刊〜

 今ほど環境問題が世界的規模で声高に叫ばれている時代はない。しかし、理念は知っているが、行動が伴わないというのが実態ではないだろうか。それには、身近な課題から一つ一つ解決していく必要がある。「美しい地球をこどもたちに―アジェンダ21おきなわ」のテーマでゼロエミッションフォーラム’98が18日、那覇市内で開かれたが、その中で取り上げられたのが、家庭ごみの排出から、その処分の在り方、環境保全の問題である。

 「燃やせるごみ」「燃やしてはいけないごみ」をきちんと分ける。果たしてわれわれはそのことを守っているのだろうか。内分泌かく乱物質(環境ホルモン)でも代表的なダイオキシン類の汚染が全国的に深刻な問題となっている割には、案外、身近なごみには無頓着である。ごみを分別することで、再利用・再資源化にも役立つし、大気汚染も緩和できる。

 フォーラムでも提起されたように、環境教育のためには大人が自然を大切にする消費者である、ということをまず自覚することから始めなければいけないだろう。
 もちろん企業、行政の責任も大きい。ゼロエミッションの考え方は限られた資源を循環使用し、廃棄物ゼロの社会を目指すというものである。企業においても社会貢献という観点から環境問題に取り組む姿勢が求められているのは言うまでもない。しかし、現状は、いまだ積極的な取り組みがなされているとは、言い難い。今こそ、企業の経営理念の中にも「廃棄物ゼロ」の考えを取り入れるべきである。

 「経済活動における財貨生産の数量的拡大のあくなき追求が人為による自然環境の破壊を、そして倫理的公正実現への期待性の希薄化が無為による社会秩序の荒廃を加速させている。従って、今後二十一世紀に向かって人類のなすべきことは大気圏を含む地球環境の損傷を食い止め、修復するために、いかに人知を働かせるかが至上命題である」。
 これは、同フォーラム開催に寄せての沖縄ゼロエミッション推進実行委員会の久場政彦委員長の言葉であるが、まさに今こそ「持続可能な生活圏」を維持していく、方策を確立しない限り、二十一世紀の展望は見いだせない。

 現在、社会問題化しているダイオキシンも、いわば自らまいた種である。日本のダイオキシンの発生量の9割は一般ごみと産業廃棄物の焼却が原因といわれている。環境庁の調査では、国の規制対象外の施設からも、猛毒のダイオキシン類が排出されていることが明らかになっている。幸いにも県文化環境部の調査では、今のところ「健康に害がない」とする範囲内にとどまっている、という。これは大気に関したもので、「水質」「土壌」の調査はこれからであり、行政の立ち遅れが目につく。
 汚染は徐々に進行していることを肝に銘じ、地域住民、企業、行政が一体となって、「環境汚染」と「資源枯渇」のツケを未来に残さないために、まず足元から行動を起こそう。

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