これは平成5年8月30日環境新聞より発行の「廃棄物処理とダイオキシン対策」著:平岡正勝から入手した序文を掲載したもの。


資料編U

廃棄物処理とダイオキシン対策

平成5年8月30日
環境新聞発行
著:平岡正勝


 1957年米国東部で餌にまぜたある種の脂肪によってヒヨコが数百羽死滅するという事件が起こった。この死因となった有害物質は、事件発生後12年経った1969年になってhexacholrodibenzo[b,e][1,4]dioxinであることが判明した。1965年ベトナム戦争に使用された枯葉剤(Agent Orange)に含まれていたダイオキシン類による催奇性が指摘されている件はあまりにも有名である。ダイオキシン類による汚染は他にも、米国Love CanalやTimes Beachの事故、イタリアSevesoの化学工場の爆発事故などが知られているが、1977年にOlieやHutzingerらが都市ごみ焼却施設以外にも各種の焼却施設から排出量の大小の相違はあるもののダイオキシン類が排出されていることが確認された。1985年にはスウェーデンにおいて都市ごみ焼却施設の建設モラトリアムが実施され、翌年にはダイオキシン類の排出規制値が定められた。現在では排出規制値を定めている国も多い。さらに、紙・パルプ生産の塩素漂白工程においても生成されることが明らかにされ、牛乳ミルクや母乳中のダイオキシン類による汚染、魚介類中のダイオキシン類、人体中の脂質中のダイオキシン類の測定値が集積されるにつれ、ダイオキシン類による地球規模的汚染の実態が明らかになりつつある。
 わが国では、1979年にカナダに送られた京都市の都市ごみ焼却施設のフライアッシュからダイオキシン類の検出が報告されている。しかし、ダイオキシン類が本格的に問題となったのは、1983年11月に愛媛大学の立川教授らのグループが都市ごみ焼却施設のフライアッシュと残さから2,3,7,8-TCDDをはじめとするダイオキシン類を検出したと発表されてからである。厚生省ではその年の12月に専門家会議が開かれ、翌年5月の報告において当時の知見に基づいて一定の判断が示された。しかし、わが国のダイオキシン類に関する研究調査は欧米諸国に比べると非常に立ち遅れていたため、1984年から1985年にかけて筆者が中心となって緊急実態調査が行われ、調査結果は1986年に公表された。この調査をもとに厚生省では、1985年より5カ年計画で国立公衆衛生院と当時の全国都市清掃会議の廃棄物処理技術開発センター、現在の廃棄物研究財団に「廃棄物処理におけるダイオキシン等の発生メカニズム等に関する研究」を委託した。全国都市清掃会議の廃棄物処理技術開発センターには環境微量汚染物質研究会が設置され、筆者はその委員長として研究調査に携わってきた。
 1990年9月厚生省水道環境部内に筆者を委員長とする「ダイオキシン類発生防止等ガイドライン検討会」が設置され、前述の委員会の研究、Dioxin国際会議における議論等をふまえての専門家による討論の結果、1990年12月に「ダイオキシン類発生防止等ガイドライン」を厚生省に答申し、直ちに厚生省より全国の地方公共団体へ通達された。これと同時にダイオキシン類の標準測定法も示された。
 ガイドラインでは、ダイオキシン類の測定法が普及してない状況や現実の操業状態をふまえ、ダイオキシン類の排出濃度は新設炉の目標値(0.5ngTEQ/m3N)のみをしめすにとどめ、一酸化炭素濃度等を指標とする燃焼制御および廃ガス処理装置の運転条件を詳細に記述する構造指針的な形でまとめた。
 ガイドラインが示されてから3年近く経過し、ガイドラインに沿った施設の改造、新規の炉も建設されつつある。
また、ダイオキシンの測定についても廃棄物研究財団による登録制度が設けられ、すでに20社近い測定業者が登録されている。さらに、Dioxin国際会議が1991年には米国のNorth CarolinaのTriangel Parkで、1992年にはフィンランドで行われ、1993年にはウィーンで開催されようとしている。1994年には、Dioxin'94が京都で行われ、筆者がChairmanを努める予定である。
 わが国のダイオキシンに関する研究は、欧米諸国に比べて遅れをとっていたが、最近は官、学、民の多くの方々の努力により、一応の水準に達したといえる。とくに、都市ごみ焼却炉におけるダイオキシン対策については、世界のトップレベルにあるといえよう。
 このような背景を踏まえて、この度、都市ごみ焼却炉のダイオキシン対策を中心に、従来の知見をまとめて出版することにした。私の研究室を中心にわが国の代表的な焼却炉メーカーの方々と分析の専門の方々に執筆をお願いした。この本が廃棄物処理を中心としてダイオキシン問題に関心のある方々の参考になれば幸せである。
 この本の出版を強力に進めて頂いた環境公害新聞社の藤本 正氏に謝意を表する次第である。

 平成5年8月

平岡正勝





※コメント「日本のダイオキシン汚染は防げたはずなのに」もとぶ野毛病院 上田 裕一


Last update:1998/04/30 / fami@shinra.co.jp Back