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■予備知識−[ホルモン作用攪乱物質とは]

[奪われし未来] 長尾 力 訳(第11章,P304)
シーア・コルボーン
ダイアン・ダマノスキ
ジョン・ピーターソン・マイヤーズ  より



 ホルモン作用攪乱物質は、環境でごくふつうに検出される程度のレベルであれば、細胞死も引き起こさないし、DNAも傷つけない。 この化学物質のターゲットは、ホルモンだけなのだ。 ホルモンは、体中に張りめぐらされたコミュニケーション・ネットワーク内を絶えず循環している化学メッセンジャー(化学伝達物質)である。 それに対してホルモン様合成化学物質というのはいわば、生体の情報ハイウェーに住みついていて、生命維持に不可欠のコミュニケーションを寸断してしまう暴漢のような役回りを演じている。 メッセンジャーに襲いかかったり、メッセンジャーになりすましたりするのだ。 そして、科学信号を混乱させ、メッセージを滅茶苦茶にかき混ぜ、はてはニセ情報をばらまいたりと悪行の限りを尽くす。 ホルモンのメッセージは、性分化から脳の形成にいたる実に多様な発育プロセスにかかわっている。 その要所要所で、コーディネーターという大役を演じているのだ。 だからこそホルモン作用攪乱物質は、出生前や出生後しばらくの間は、特に危険な因子なのである。 第一〇章でも詳しく見たように、成人にはこれといった影響が出ないような比較的低レベルの汚染物質でも、胎児には致命的な打撃となる場合がある。 五体満足で健康な赤ん坊が生まれるかどうかは、妊娠中のしかるべき時期に、しかるべきホルモン・メッセージが正しく胎児に送り届けられたかどうかにかかっている。 この種の毒物汚染を考える場合、何より大切なのは、化学メッセージという発想だ。 肝心なのは、毒物でも、発がん性物質でもなく、化学メッセージなのである。
 いまの科学界の最大の関心事といえば、ヒトゲノムをマッピングし、嚢胞性繊維症などの遺伝子病を引き起こす遺伝子を探り当てることだろう。 そのためか、病因のほぼすべては遺伝子の中にあるという見方が世間に蔓延するようになった。 ところが、これまで述べたことから明らかなように、遺伝子の設計図というのは、胎児をかたちづくる要因の一つにすぎないのだ。 たとえばこんなふうに想像していただきい。 何か大きな建物を建てている最中に、誰かの仕業で、作業している人たちの会話が寸断されてしまったとしたら、いったいどうなるだろう? そうなれば、水回り担当の配管工には、大工が壁を塞いでしまう前にバスルームのなかばあたりにパイプを埋め込んでおけというメッセージが伝わらなくなってしまうだろう。 連絡事項がうまく伝わらなければ、空調システムの設定温度が異常に高くなってしまったり、高層ビルに本来八基あるべきはずのエレベーターがたった一基しかないということにすらなりかねない。
建物を建てるという行為も、設計図に負けず劣らず大切なのだ。 同じように赤ん坊の知能も、遺伝子だけでなく、発育のポイントとなる時期に脳に供給される甲状腺ホルモンに左右されるのである。 若年層に精巣がんが生じた場合、その原因と考えられるのは、がん遺伝子ではなく、子宮内のホルモン・レベルの異常だ。 すでに見た科学的裏づけからいって、合成化学物質には、胎児のホルモン・メッセージを攪乱するだけでなく、その後の発育にも引き続き悪影響を及ぼすおそれがある。
 ホルモン作用攪乱物質は、お馴染みの毒物や発がん性物質とは違ったふうに作用する。 だからこの問題に、お決まりの毒物学や疫学をむりやり当てはめたところで、問題の解決どころか、一層の混乱を招いてしまうのが落ちだ。


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